医師の視点の違いで、同じ患者なのに「後見相当」が「後見不要」に!!

後見申し立て、取り消しに必ず必要となる医師の診断書。同じ患者でも医師により見立てが分かれる場合も少なくありません。資料は、昭和22年生まれ、統合失調症の独身男性の診断書です。資料1は入院先の主治医医師Aによる診断書、資料2は別の病院の医師による診断書です。この二つを各項目ごとによく見比べてください。

結論部分である「3.判断能力についての意見」で、医師Aは、最も重度な「支援を受けても、契約等の意味・内容を自ら理解し、判断することができない。(=後見相当)」にチェックをして、「平成30年当時から変わっていない」との意見を付しています。一方医師Bは、最も軽い「契約等の意味・内容を自ら理解し、判断することができる。(=後見不要)」にチェックをしています。つまり、真逆の判断です。

資料1 入院先の医師Aの診断書1
資料1 入院先の医師Aの診断書2
資料2 別の病院の医師Bの診断書
資料2 別の病院の医師Bの診断書2

これらの診断は後見取消しの申立てをするために受けたもので、どう書かれたかによって本人の生活が180度変わってしまうといっても過言ではありません。2つの診断書の間は、わずか1か月。本人の病状に大きな変化はないにもかかわらず、何故このように違う診断が出るのでしょうか。

精神疾患を抱える方は、日によって気分が変わることもあるでしょうし、答えたくないと黙ってしまうこともあるでしょう。医師は、その日その時の患者の状態を診るのであり、状態が悪い時に診た場合は医師Aのような診断になるのかもしれません。注目したいのは2枚め「判定の根拠」です。本人は近くのコンビニまで単独で外出、買い物を行っているそうですが、判定の根拠で医師Aは、「お菓子やジュースなどについては、買い物できるが、込み入った内容について話すと「わからない」「もういい」と拒絶、混乱」してしまうことをもって理解力なしと判断しています。しかし、コンビニで買い物をする程度の日常において「込み入った内容」とは何を想定しているのか、「拒絶・混乱」してはいけないのか、記憶力の問題としてあげている「逆唱・遅延再生」が時々できないことで、日常生活に何の支障があるのか、これだけのことで「後見相当」なのか、と疑問だらけです。医師Aは、さまざまな検査をしているものの肝心の患者の生活がみえていないのでしょう。

一方医師Bは、純粋に日常の生活が支障なく送れるかに着眼しているよう見受けられます。補充療法による改善可能性も示されており、たとえこころに病を抱えていても、服薬や通院をしながらであっても、病の支障なく生活できればそれでよいと患者の背中を押しているかのようです。患者の生活に目を向けてくれる医師がいることに一条の光を見た思いです。

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