一般社団法人後見の杜(宮内康二代表)が2023年12月2日に開催したシンポジウム「医師(患者)からみた成年後見制度の課題と対策」を4回にわたりレポートする。医師と成年後見制度は、一見無関係のように思えるが、制度の利用にあたり不可欠な診断書を書くのも医師、審判取り消しのため、状態が改善したことを証明するのも医師。「後見制度は医師に始まって医師に終わる」というのが宮内代表の考えだ。認知症や精神病等の患者に日常的に接する医師に制度を正しく知ってもらうとともに、2027年に予定される初の制度改正に医師の立場からの意見を反映させるための活動を今後行なっていくと言いい、今回のシンポジウムはそのキックオフとしている。第1回は、成年後見制度に対して批判的な論客、精神科医の斎藤正彦都立松沢病院名誉院長の基調講演「成年後見制度の課題と現状」を紹介する。(ジャーナリスト・川名佐貴子)
成年後見制度の骨格は禁治産制度と同じ、患者の権利の縮小を招いた
成年後見制度は、意思能力に欠ける認知症の高齢者や精神、知的障害者などを守るための権利擁護の仕組みと一般的には考えられているが、斎藤医師の立場は真逆で「権利を奪う制度」であると説明した。
成年後見制度は、2000年の介護保険導入により行政による措置から契約にサービス利用の方法が変更された際、認知症等で契約ができない人のために、民法を改正し導入された。「改正の理念は、自己決定の尊重やノーマライゼーションと説明される、骨格は明治以来の禁治産制度と変わらず、本人が単独で行う行為を認めないという考えが根底にある」と齋藤医師は指摘する。
それを象徴するのが、「代理権」だ。
後見制度の3類型のうち、最も重度の人が利用することになる「成年後見」の場合は、後見人にほぼ全ての法律行為を本人に代わって行うことができるようになる包括的代理権が与えられる。一方、本人の立場からみれば、法律行為を行う権利を奪われ、生殺与奪を後見人に丸投げすることになる。より軽度の人が利用する「保佐」「補助」は、代理権の範囲は審判により決められるようになった。これにより「制度導入前と比べて、利用者の権利を縮小が縮小し、後見人等の権限がより拡大した」と制度導入を総括した。 代理権を行使できる後見人等に誰がなるかは、利用する側にとっては大問題だが、家庭裁判所は家族による使い込みを懸念して、弁護士や司法書士を選ぶようになっていった。見ず知らずの他人が、通帳を丸ごともっていってお金の使い方にかかわる生活のこまごましたことに口を挟んできて、抵抗もできないわけだから、想像しただけでも耐え難い状況といえるだろう。
申し立て、後見人は、「家族」が急減、首長申立て、第三者後見が急増
制度の利用状況をみると、導入当初の2002年には、9割が家族の申請で、9割が親族の後見人が選ばれていたが、直近の2022年では、後見人の8割までが家族ではない第三者。家族による申請は減少する一方で、市区町村長による申請が5割、本人申請2割と右肩上がりで増えている。「契約ができないから後見人等が必要なのに、本人からの申請を受け付けるのは矛盾している。そもそもきちんと審査が行われていない証拠」と斎藤医師は指摘する。
東京家裁の場合は、本人が来なくても、市区町村の福祉担当者や後見人候補の専門職からの申請も受理している。そうなると、本当に十分な説明があり、本人が利用を希望しているのかも定かではない。市町村申請をしないですむ、抜け道のような使われ方をしている印象を受けた。
一人暮らしで認知症の高齢者に後見人をつけてしまえば、施設入所契約も後見人がやってくれるので行政も楽だ。斎藤医師は裁判所に提出する診断書で類型を選ぶ場合には科学的な根拠をもっておこなうべきという立場だが、「精査して、保佐、補助を選んでも、包括的代理権がないと介護ができないから「成年後見」に変えてほしいと自治体職員に要求されることは日常的にある。本人がどんな権限を失うかはまるでわかっておらず、福祉関係者にまるで罪悪感はない」。しかし、実際は「自分たちの便利のために人権を売払行為に等しい」と批判した。
被後見人になると、後見人の同意なしで裁判もできない。自宅で暮らし続けたいと望んでいたのに介護施設に入れられてしまっても、後見人を訴えることはできないから泣き寝入りするしかない。後見人はやりたい放題できるのだが、申し立てを行なった市町村も、家庭裁判所も本人の意思を尊重した身上監護が適切に行われているかには関心はなく、チェック機能も働かいていないのが現実という。 斎藤医師は、シンポジウムに参加した医師に対しては、「成年後見制度は利用者の権利を著しく制限する制度で、国連も人権侵害にあたるとして廃止を求めている。福祉や行政の要望でいい加減な診断書を書いてはいけない。後々にトラブルになったときに責任を負うのは医師であることを忘れずに」と呼びかけた。
後見制度ではなく公的なソーシャルワークが必要
齋藤医師は、成年後見制度は資産管理に絞り、身上監護に代わる公的で継続的なソーシャルワークの仕組みを構築すべきであると主張している。今の仕組では、ソーシャルワークが分断されてしまい、一人の人の人生にソーシャルワーカーが長く伴奏することができないからだ。確かに、障害と高齢はバラバラだし、高齢者も要支援なら地域包括支援センター、要介護1以上ならケアマネ、入院中は医療ソーシャルワーカーで、認知症が重くなったら後見人とくるくる変わる。福祉制度がツギハギの結果、家族の負担も軽くなっておらず、結果的に後見人への依存度を高めているともいえる。介護保険がスタートしてすでに、25年近くたっており後見制度の見直しと合わせ、福祉の再構築が必要担っているのは間違いない。